世界史大観
序章から現在の世界まで、通史の大きな流れをひとつづきに追いなおすためのまとめ。各節は「何が起こったか」よりも「何が何を導いたか」を軸に圧縮してある。
目次
序章 先史の世界
人類は数百万年前のアフリカで猿人として出現し、原人・旧人を経て新人(ホモ=サピエンス)へと進化しながら世界各地へ拡散した。旧石器時代は打製石器を用いた狩猟・採集による移動生活が中心であったが、約1万年前の気候温暖化を機に西アジアなどで農耕・牧畜が始まり(新石器革命)、磨製石器や土器が普及して定住集落が形成された。余剰生産物の蓄積は身分差や交易を生み、後の都市文明誕生の基盤となった。
古代の世界
先史 〜 後3〜6世紀頃人類は各地の大河流域で文明を築き、地中海・オリエント・インド・中国という複数の文明圏が並行して形成された。やがてそれぞれの文明圏内で統一国家が生まれ、周辺の遊牧民や北方民族との接触を通じて、東アジアには漢字・仏教・儒教を共有する文化圏が姿を現す。
オリエントと地中海世界
前3000年頃 〜 後5世紀メソポタミア・エジプトに始まる古代オリエントは統一と分裂を繰り返した末にペルシアが再統一し、地中海ではギリシアのポリス文明とヘレニズム、そしてローマが興亡して西欧文明の基層を築いた。
古代オリエント世界
ティグリス・ユーフラテス両河流域では前3000年頃からシュメール人が都市国家を築き、楔形文字やジッグラトなどメソポタミア文明を発展させた。以後アッカド・バビロン第1王朝(ハンムラビ法典)などが興亡し、ナイル川流域では統一王権のもとファラオが神権政治を行い、ピラミッドや神聖文字(ヒエログリフ)を生んだ。ヒッタイトやミタンニなど周辺諸民族の活動を経て、前7世紀にはアッシリアが史上初めてオリエントを統一したが専制支配は長続きせず、前6世紀にアケメネス朝ペルシアが再統一を果たし、サトラップ制や「王の道」による広域統治とゾロアスター教の展開によって繁栄した。
ギリシア世界
エーゲ海ではクレタ文明・ミケーネ文明が栄えた後、暗黒時代を経て前8世紀頃から多数のポリス(都市国家)が形成された。スパルタが軍国的な閉鎖社会を築いた一方、アテネは貴族政から民主政へと発展し、ペルシア戦争での勝利を経てペリクレス時代に直接民主政を完成させた。しかしポリス間の主導権争いはペロポネソス戦争を招いて衰退を深め、前4世紀にはマケドニアのフィリッポス2世がギリシアを制圧、その子アレクサンドロス大王が東方遠征で大帝国を築いた。この結果ギリシアとオリエントの文化が融合するヘレニズム文化が地中海世界から中央アジアにまで広がった。
ローマ世界
イタリア半島の都市国家ローマは共和政のもとで貴族と平民の身分闘争を経て法制度を整え、ポエニ戦争でカルタゴを破るなど地中海全域を征服した。しかし征服の拡大は大土地所有と貧富の差を生み、グラックス兄弟の改革失敗後は内乱の1世紀に突入、最終的にオクタウィアヌスが権力を握り帝政(元首政)を開始してパクス=ロマーナと呼ばれる繁栄期を迎えた。2世紀のトラヤヌス帝期に領土は最大となるが、3世紀には軍人皇帝時代の混乱に見舞われ、ディオクレティアヌス帝・コンスタンティヌス帝の専制君主政改革やキリスト教公認・国教化を経て、395年に帝国は東西に分裂、476年に西ローマ帝国は滅亡した。ローマ法・ラテン語・土木技術などその遺産は後の西欧文明の基層となった。
アジア・アメリカの古代文明
前2600年頃 〜 後6世紀頃インドではヴェーダの宗教から仏教・ヒンドゥー文明が育ち、中国は封建制から中央集権帝国へと転換し、東南アジアと南北アメリカはそれぞれの環境に応じた独自文明を築いた。
インドの古典文明
インダス川流域では前2600年頃モエンジョ=ダーロなどの都市文明が栄えたが原因不明のまま衰退し、前1500年頃にアーリヤ人が北西インドへ進入してヴェーダを生み出し、後にヴァルナ制(のちのカースト制の起源)が形成された。前6世紀頃、都市国家の抗争のなかでウパニシャッド哲学とともに仏教(ガウタマ=シッダールタ)とジャイナ教が成立し、バラモン中心の身分秩序に挑戦した。マウリヤ朝のアショーカ王は仏教を保護してほぼ全インドを統一し、後のクシャーナ朝を経て4世紀にはグプタ朝が成立してヒンドゥー教とサンスクリット文学が最盛期を迎え、ゼロの概念や十進法など後世に影響を与えるインド古典文化が確立した。
東南アジアの諸文明
東南アジアはインドと中国を結ぶ海上・陸上交易路の要衝にあたり、両文明の影響を受けながら独自の国家形成を進めた。メコン川下流のフナン(扶南)、チャンパー、後のシュリーヴィジャヤなど港市国家が交易で栄え、ヒンドゥー教・仏教が王権の権威づけとして受容されて寺院建築などの独自文化を生んだ。
中国の古典文明
黄河流域では殷(商)が青銅器と甲骨文字による神権政治を行い、これを倒した周は封建制(血縁関係に基づく統治)を敷いたが、前8世紀の東遷後は春秋・戦国時代に突入し、諸侯の抗争のなかで儒家・道家・法家など諸子百家が輩出した。前221年、法家思想を採用した秦王政(始皇帝)が中国を統一して中央集権の郡県制を敷き、度量衡・文字統一や万里の長城建設を行ったが急激な統治への反発で短命に終わった。続く漢(前漢)は郡国制を経て武帝期に中央集権を確立し、儒学を国教化するとともに西域経営やシルクロード交易を推進して繁栄したが、外戚・宦官の専横により後漢末に衰退した。
南北アメリカ文明
南北アメリカはユーラシア大陸と隔絶した環境で独自の文明を発展させた。中央アメリカではオルメカ文明を源流にマヤ文明・テオティワカン文明が精緻な暦法とピラミッド型神殿建築を生み、後にアステカ王国が中央高原に強大な国家を築いた。アンデス地帯ではチャビン文化を経て15世紀にインカ帝国が広大な領域を統合し、鉄器や車輪、大型家畜を持たないまま高度な石造建築と道路網を整備した。
内陸アジア世界・東アジア世界の形成
前3世紀 〜 後10世紀草原の騎馬遊牧民は東西交流の担い手となり、中国は分裂と統一を繰り返しながら唐代に律令国家として完成、その文化が朝鮮・日本・ベトナムへ広がり東アジア文化圏が形成された。
草原の遊牧民とオアシスの定住民
ユーラシア中央部の草原地帯では騎馬遊牧民が機動力を武器に強大な勢力を築き、前3世紀のスキタイに続いて匈奴が中国北方に一大勢力を形成して漢と対峙した。彼らは略奪と交易の双方を通じてオアシス都市の定住民と結びつき、東西を結ぶ「草原の道」「オアシスの道」の担い手として文物の交流を媒介した。
北方民族の活動と中国の分裂
後漢滅亡後の中国は魏・蜀・呉が並立する三国時代を経て晋(西晋)が一時統一したが、匈奴など北方諸民族(五胡)の侵入により華北を追われ(五胡十六国)、南に逃れた漢族政権と華北の異民族政権が対峙する南北朝時代に入った。北魏は均田制など後の統治制度の原型を整え仏教を保護する一方、江南では貴族文化が花開き、6世紀末に隋がこの分裂を統一した。
東アジア文化圏の形成
隋は大運河建設と科挙制度の導入で中央集権化を進めたが、高句麗遠征の失敗などから短命に終わり、これを継いだ唐は律令制・均田制・租庸調・府兵制を整備して国際色豊かな大帝国を築いた。都長安には東西交易路を通じて多くの文物・人々が集まり、仏教や漢字文化が周辺諸地域へ広く波及した結果、新羅の朝鮮半島、日本(律令国家の形成)、ベトナムなどが漢字・儒教・仏教・律令を共有する東アジア文化圏を形成した。
中世の世界
4世紀 〜 14世紀7世紀に成立したイスラーム世界はアジア・アフリカ・ヨーロッパを結ぶ交易と学問のネットワークを広げ、西ヨーロッパではキリスト教を核に封建社会が形成された。東アジアでは唐の衰退後に諸地域が自立化を進め、13世紀にはモンゴル帝国がユーラシア大陸を陸海で結びつけて空前の交流を生んだ。
イスラーム世界の形成と発展
7世紀 〜 15世紀アラビア半島で成立したイスラーム教は急速な征服活動で大帝国を築き、政治的分裂を経ながらもインド・東南アジア・アフリカへ拡大し、諸文明の遺産を統合した高度な学問文化を生んだ。
イスラーム世界の形成
7世紀初め、アラビア半島のメッカでムハンマドが唯一神アッラーへの絶対的帰依を説くイスラーム教を創始し、迫害を逃れて622年にメディナへ移住した(ヒジュラ)。彼はここに信仰共同体ウンマを組織し、メッカを征服してアラビア半島を統一した。没後は正統カリフが選出されて大規模な征服活動(アラブの大征服)を行い、続くウマイヤ朝はダマスカスを都にアラブ人優遇の広大な帝国を築いた。
イスラーム世界の発展
750年、非アラブ改宗者らの不満を背景にアッバース朝革命が起こり、新王朝はバグダードを都にムスリムの平等を原則とする普遍的なイスラーム帝国を築いて学問・文化が花開いた。しかし9世紀以降は各地に自立政権が分立し、10世紀にはシーア派のブワイフ朝がバグダードに入城してカリフから実権を奪い、セルジューク朝など各地のトルコ系政権がスルタンとして政治的実権を握る一方、カリフは宗教的権威として存続する体制へと変化した。
インド・東南アジア・アフリカのイスラーム化
アフガニスタン方面から興ったガズナ朝・ゴール朝の侵入を経て13世紀初頭に北インドにデリー=スルタン朝が成立し、南アジアへのイスラーム浸透が進んだ。海上交易ではムスリム商人の活動によりマラッカなど東南アジアの港市が次々とイスラーム化し、アフリカではサハラ縦断交易を介してマリ王国・ソンガイ王国などの西アフリカ諸国やスワヒリ海岸の都市文明にイスラームが広まった。
イスラーム文明の発展
イスラーム世界はギリシア・インド・ペルシアなど諸文明の知的遺産を吸収し、哲学(フィルサファ)、医学(イブン=シーナー)、数学(代数学)、歴史学(イブン=ハルドゥーン)など高度な学問文化を築いた。モスクを中心とするアラベスク装飾建築が発達し、東西を結ぶ交易ネットワークを通じてユーラシア規模の文物交流を担った。
ヨーロッパ世界の形成と発展
4世紀 〜 15世紀ゲルマン人の移動を経て西欧はフランク王国とローマ=カトリックを核に封建社会を築き、東欧はビザンツ帝国とギリシア正教を中心に展開、両者は十字軍・黒死病などを経て近世への移行期を迎えた。
西ヨーロッパ世界の成立
4世紀後半のゲルマン人の大移動によって西ローマ帝国は解体へ向かい、476年の滅亡後、ゲルマン諸部族の中でフランク王国のクローヴィスがアタナシウス派(カトリック)に改宗してローマ教会と結び、勢力を拡大した。8世紀末にはカール大帝がほぼ西欧全域を統一して800年に教皇からローマ皇帝の帝冠を授けられ、西ヨーロッパ世界の一体性の基礎が築かれたが、帝国は孫の代にヴェルダン条約・メルセン条約で分裂し、後のドイツ・フランス・イタリアの原型となった。9〜10世紀のノルマン人・マジャール人らの侵入への対応から、主君と家臣が土地(封土)を媒介に結びつく封建的主従関係と荘園制が広がった。
東ヨーロッパ世界の成立
西ローマ滅亡後も存続したビザンツ(東ローマ)帝国はユスティニアヌス帝のもとで一時地中海の旧領を回復し、ローマ法大全編纂やハギア=ソフィア聖堂建設など古典文化を継承した。ギリシア正教とギリシア語文化を特色とし、皇帝が教会をも統轄する皇帝教皇主義をとった。この文化圏はスラヴ人へも波及し、キエフ公国がギリシア正教を受容したほか、ブルガリア・セルビアなどバルカンのスラヴ諸国も正教文化圏に組み込まれていった。
西ヨーロッパ中世世界の変容
11世紀以降、三圃制など農業技術の進歩により生産力が向上して人口が増加し、各地で商業と都市が復興した。教皇権の伸長を背景に始まった十字軍運動は聖地奪回に失敗するが、東方との交流を通じて遠隔地商業とイタリア諸都市・ハンザ同盟などの都市発展を促し、荘園制と封建制を基盤とする社会は次第に変容した。14世紀には黒死病(ペスト)の大流行で人口が激減して荘園制の解体が加速し、イギリス・フランスでは百年戦争を経て国王中心の中央集権化が進み、イギリスではバラ戦争後にテューダー朝が成立するなど近世国家への移行が始まった。
西ヨーロッパの中世文化
中世西欧の文化はキリスト教(カトリック)を中心に展開し、教会や修道院が学問の担い手となった。信仰と理性の調和を目指すスコラ学がトマス=アクィナスによって大成され、各地に大学が誕生して神学・法学研究の拠点となった。建築ではロマネスク様式に続きゴシック様式の大聖堂が各地に建てられ、騎士道精神を反映した『ローランの歌』などの騎士道文学(ロマンス)が民衆の言葉で語られた。
内陸アジア世界・東アジア世界の展開
10世紀 〜 14世紀中央アジアはトルコ化・イスラーム化が進み、中国は唐の後を継いだ宋が経済革命的発展を遂げつつ北方民族に圧迫され、最終的にモンゴル帝国がユーラシア東西を統合した。
トルコ化とイスラーム化の進展
中央アジアでは元来イラン系民族が優勢であったが、10世紀頃からトルコ系遊牧民の西進・定住が進み、カラハン朝の成立を機に中央アジアのトルコ化とイスラーム化が急速に進展した。セルジューク朝は西アジアへも進出してバグダードに入城しスルタンの称号を得るなど、トルコ系勢力がイスラーム世界の政治的主導権を握るようになった。
東アジア諸地域の自立化
唐末の混乱を経て中国は五代十国の分裂状態に陥ったが、10世紀に宋(北宋)が再統一し、文治主義に基づく皇帝独裁体制と科挙官僚制を整えた。江南の開発や貨幣経済の発達、印刷術・火薬・羅針盤の実用化など「経済革命」とも呼ばれる発展を遂げた一方、軍事的には北方の契丹(遼)・女真(金)・タングート(西夏)など周辺民族国家の圧迫を受け、財政再建を狙った王安石の新法も貴族官僚層の抵抗で挫折した。同時期、朝鮮半島では高麗、日本では摂関政治から武士が台頭して鎌倉幕府が成立するなど、東アジア各地域が独自の国家的自立を進めた。
モンゴルの大帝国
13世紀初頭、チンギス=ハンがモンゴル高原の諸部族を統一して大帝国建設に乗り出し、中央アジアから南ロシア、西アジア(イル=ハン国)にいたる広大な領域を征服した。孫のフビライは国号を元と改めて南宋を滅ぼし中国を支配下に置いた。モンゴル帝国はユーラシア大陸の東西を陸海の交通網で結びつけ(パクス=モンゴリカ)、マルコ=ポーロの旅行に代表される東西の人・物・情報の交流を大きく活性化させたが、14世紀には各地で反乱が相次ぎ、元は中国から北方へ退いた。
近世の世界
14世紀 〜 18世紀モンゴル帝国解体後、アジアでは明・清、オスマン、サファヴィー、ムガルという広域帝国が並び立って繁栄する一方、ヨーロッパは大航海時代を経て世界と結びつき、ルネサンス・宗教改革を経験しながら主権国家体制と絶対王政を確立していった。
アジア諸地域の繁栄
14世紀 〜 18世紀明清中国、オスマン、サファヴィー、ムガルという広域帝国がユーラシア南部を分割して繁栄し、東南アジアの海上交易には欧州勢力も加わり始めた。
東アジア世界の動向
14世紀半ば、朱元璋(洪武帝)が元を北へ退けて明を建国し、皇帝独裁体制と朝貢体制を整えた。永楽帝期には鄭和の南海遠征により東南アジアからアフリカ東岸にまで及ぶ朝貢関係が拡大した。日本では室町幕府のもとで勘合貿易が行われた後、戦国時代の争乱を経て織田信長・豊臣秀吉・徳川家康による統一事業が進み、朝鮮半島では朝鮮王朝(李氏朝鮮)が儒教(朱子学)を統治理念として整備された。
清代の中国と隣接諸地域
中国東北部に興った満洲族は後金(後の清)を建て、明の滅亡に乗じて中国を征服した。清は康熙帝・雍正帝・乾隆帝の3代にわたり最盛期を迎え、モンゴル・新疆・チベットなど広大な藩部を統治下に置く一方、漢人に対しては科挙や儒教尊重による懐柔策と辮髪強制などの威圧策を併用した。対外貿易は広州の公行に限定するなど統制を維持しつつ、周辺諸国とは朝貢関係を保った。
トルコ・イラン世界の展開
アナトリアに興ったオスマン帝国は1453年にビザンツ帝国の都コンスタンティノープルを征服してビザンツを滅ぼし、以後バルカン半島から北アフリカ、西アジアにおよぶ大帝国へと発展してスレイマン1世期に最盛期を迎えた。同時期のイランではサファヴィー朝がシーア派を国教として建国し、アッバース1世のもとで最盛期を築き、スンナ派のオスマン帝国としばしば対立した。
ムガル帝国の興隆と東南アジア交易の発展
ティムールの子孫バーブルが北インドに進出してムガル帝国を建国し、アクバルはヒンドゥー教徒との融和策(人頭税ジズヤの廃止など)で帝国の基盤を固め、シャー=ジャハーン期にはタージ=マハルに代表される華麗なインド=イスラーム文化が花開いたが、アウラングゼーブ帝の厳格なイスラーム化政策はヒンドゥー勢力の反発を招き帝国衰退の一因となった。東南アジアでは香辛料交易を求めてポルトガル・オランダ・イギリスなど欧州勢力が進出し、在来の港市国家との関係を再編しながら交易網に組み込んでいった。
近世ヨーロッパ世界の形成
15世紀 〜 17世紀半ば大航海時代でヨーロッパは世界と結びつき、ルネサンスと宗教改革が精神世界を揺るがし、諸国家の抗争は三十年戦争を経て主権国家体制の確立へと収束した。
ヨーロッパ世界の拡大
オスマン帝国による東方貿易の圧迫やアジア産香辛料への需要を背景に、ポルトガルはヴァスコ=ダ=ガマのインド航路開拓によりアジア貿易に進出し、スペインはコロンブスの西回り航海を機にアメリカ大陸へ進出してアステカ・インカ両帝国を征服した。この大航海時代によって新大陸の銀がヨーロッパに流入して価格革命を引き起こし、南北アメリカとの間で作物・家畜・疫病が交換される「コロンブスの交換」が生じるなど、世界の一体化が始まった。
ルネサンス
14世紀のイタリア諸都市、特にフィレンツェのメディチ家の保護のもとで古典古代の文化を模範とするルネサンスが花開き、人間性を重んじるヒューマニズム(人文主義)が広がった。レオナルド=ダ=ヴィンチ、ミケランジェロ、ラファエロらが美術の傑作を生み、ルネサンスはやがてアルプス以北にも波及してエラスムスら北方ヒューマニズムを生んだ。グーテンベルクの活版印刷術の発明は新しい思想の普及を飛躍的に加速させた。
宗教改革
1517年、ルターが贖宥状(免罪符)販売を批判する95カ条の論題を発表したことを機に宗教改革が始まり、「信仰義認説」「聖書中心主義」を掲げるプロテスタントが北ドイツ・北欧に広がった。アウクスブルクの和議で諸侯の信仰選択権が認められる一方、カルヴァンはジュネーヴで予定説に基づく改革を進めて西欧各地に影響を与え、イギリスでは国王至上法によりイギリス国教会が成立した。これに対しカトリック教会もトリエント公会議やイエズス会の海外布教などで対抗宗教改革を進め、両派の対立はしばしば宗教戦争へと発展した。
ヨーロッパ諸国の抗争と主権国家体制の形成
イタリア戦争を通じてフランス・ハプスブルク家(スペイン・オーストリア)の対立が深まり、宗教対立とも絡み合った三十年戦争は多くの国家を巻き込む国際戦争に発展した。1648年のウェストファリア条約はこの戦争を終結させると同時に、神聖ローマ帝国内の諸侯の主権をほぼ承認して、各国家が対等に並び立つ主権国家体制のヨーロッパ国際秩序を確立した。この過程でスペインやフランスなど各地に王権が官僚制と常備軍を背景に強大化する絶対王政が成立していった。
近世ヨーロッパ世界の展開
17世紀 〜 18世紀絶対王政と啓蒙専制主義のもとで列強は海外進出と植民地争奪戦を激化させ、科学革命と啓蒙思想が近代的な世界観と社会改革論を育てた。
重商主義と啓蒙専制主義
絶対王政期の諸国は国富増大のため貿易差額を重視する重商主義政策をとり、フランスではルイ14世がコルベールを登用して典型的な絶対王政を築いた。一方イギリスではピューリタン革命・名誉革命を経て権利の章典が制定され、議会主権に基づく立憲君主政が確立された。東・中欧ではプロイセンのフリードリヒ2世やロシアのエカチェリーナ2世のように、啓蒙思想を統治に取り入れつつ君主権の強化を図る啓蒙専制主義が展開された。
ヨーロッパ諸国の海外進出
17世紀にはオランダが東インド会社を通じてアジア貿易で覇権を握ったが、イギリスは3次にわたる英蘭戦争でこれに対抗して制海権を奪い、フランスとの間では北米大陸(フレンチ・インディアン戦争)とインド(プラッシーの戦いなど)の両方で植民地争奪戦を展開して優位に立った。大西洋では西アフリカから奴隷をアメリカへ、アメリカの産物をヨーロッパへ運ぶ三角貿易が展開され、ヨーロッパの繁栄を支える一方で多大な犠牲を強いた。
17〜18世紀のヨーロッパの文化と社会
コペルニクスの地動説に始まりガリレイ、ニュートンの万有引力の法則へと至る科学革命が近代科学の基礎を築き、デカルトの合理論とロックの経験論を経て、モンテスキュー・ヴォルテール・ルソーら啓蒙思想家が理性に基づく社会改革を説いた。美術ではバロック様式に続きロココ様式が流行し、都市のサロンやカフェを舞台に新しい思想や情報が交わされる公共圏が形成された。
近代ヨーロッパ・アメリカ世界の成立
18世紀後半 〜 19世紀初頭イギリスの産業革命が経済のあり方を、アメリカ独立革命とフランス革命が政治のあり方を根本から変え、ナポレオンの登場と没落によって近代の幕が開いた。
産業革命
18世紀後半のイギリスでは、広大な植民地市場・豊富な資本と資源・農業革命による労働力の確保などの条件が整い、綿工業を中心に紡績・織布機械の発明とワットの蒸気機関改良が結びついて工場制機械工業が確立した(産業革命)。鉄道・蒸気船など交通革命も進み、資本家(産業ブルジョワジー)と労働者(プロレタリアート)という新しい階級関係を伴う資本主義社会が形成された。
アメリカ独立革命
北米13植民地はイギリス本国による印紙法などの課税強化に反発し、「代表なくして課税なし」を掲げて抵抗を強めた。ボストン茶会事件を機に武力衝突が始まり、1776年に独立宣言を発表、フランスなど諸外国の支援も得てヨークタウンの戦いで勝利を収めた。1787年に制定された合衆国憲法は人民主権・三権分立・連邦制を柱とし、世界初の近代的民主共和国の誕生として後の諸革命に大きな影響を与えた。
フランス革命とナポレオン
財政危機に陥ったフランス王政が三部会を招集したことを機に、第三身分が国民議会を樹立し、1789年のバスティーユ牢獄襲撃を経て人権宣言が採択され、革命は立憲君主政から共和政へと急進化した。ルイ16世処刑後はロベスピエールらによる恐怖政治が展開されたが反動で崩壊し、混乱の中から台頭したナポレオンは統領政治を経て皇帝に即位、ナポレオン法典の制定やヨーロッパ大陸の広範な征服・大陸封鎖令によって覇権を握った。しかしロシア遠征の失敗を機に諸国が反攻し、ワーテルローの戦いでの敗北によってその支配は終わりを告げた。
欧米における近代国民国家の発展
1815年 〜 19世紀末保守的なウィーン体制は自由主義・国民主義の高まりによって崩れ、イタリア・ドイツの統一やアメリカの南北戦争を経て、欧米は国民国家の時代を迎えた。
ウィーン体制の成立
ナポレオン没落後に開かれたウィーン会議は、正統主義と勢力均衡を原則に革命前の秩序回復を図り、神聖同盟や四国同盟によって自由主義・国民主義運動を抑え込む保守的な国際体制(ウィーン体制)を築いた。しかし1830年のフランス七月革命を機に体制は動揺し始め、1848年には諸国で自由主義・国民主義を求める「諸国民の春」と呼ばれる一連の革命が勃発してウィーン体制は実質的に崩壊した。
ヨーロッパの再編と新統一国家の誕生
クリミア戦争でのロシアの敗北はヨーロッパの勢力図を揺るがし、イタリアではサルデーニャ王国のカヴールとガリバルディの活躍によって統一が達成された。ドイツでもプロイセンのビスマルクが鉄血政策のもとデンマーク・オーストリア・フランスとの戦争を通じて統一を主導し、1871年にドイツ帝国が成立した。イギリスでは選挙法改正などの議会制改革が進み、ロシアでもアレクサンドル2世の農奴解放令など「上からの近代化」が試みられた。
南北アメリカの発展
アメリカ合衆国は西部開拓を進めて領土を拡大する一方、奴隷制の存廃をめぐる南北の対立が深刻化し、リンカン大統領のもとで南北戦争が勃発した。北部の勝利により連邦の統一と奴隷解放が実現し、戦後は急速な工業化を遂げた。ラテンアメリカでは19世紀初頭にシモン=ボリバルらの指導のもとスペイン・ポルトガルからの独立が相次いで達成されたが、独立後も大土地所有制の存続や政情不安が続いた。
19世紀欧米の文化
理性を重んじる啓蒙思想への反動として個人の感情や民族の伝統を重視するロマン主義が広がり、やがて社会の現実をありのままに描く写実主義・自然主義がこれに代わった。実証主義の思想的潮流のもとダーウィンが進化論を提唱して自然観に大きな衝撃を与え、電磁気学など自然科学も飛躍的に発展し、国民国家の形成を背景に自国の歴史を重視する国民主義的な歴史学も発達した。
アジア諸地域の動揺
18世紀末 〜 19世紀末オスマン帝国は「東方問題」で列強の干渉を受け、南アジア・東南アジアはほぼ全域が植民地化され、東アジアもアヘン戦争を機に不平等条約体制に組み込まれるなど、アジア諸文明の秩序は大きく揺らいだ。
オスマン帝国支配の動揺と西アジア地域の変容
18世紀末以降、オスマン帝国は軍事的劣勢とバルカン地域の民族運動によって「東方問題」と呼ばれる列強の干渉を招くようになり、タンジマートと呼ばれる西欧化改革によって近代化を図ったが十分な成果を上げられなかった。エジプトではムハンマド=アリーが自立的な近代化を進め、アラビア半島ではワッハーブ運動がイスラームの原点回帰を訴えるなど、オスマン支配下の各地で変容が進んだ。
南アジア・東南アジアの植民地化
インドではイギリス東インド会社が徐々に支配領域を拡大し、1857年のインド大反乱(シパーヒーの反乱)鎮圧後、会社は解散されてインドはイギリス国王が直接統治するインド帝国に再編された。東南アジアでもオランダがジャワで強制栽培制度を敷いてインドネシアを植民地化し、フランスはインドシナに、イギリスはビルマ・マレー半島に進出するなど、タイを除く東南アジアのほぼ全域が欧米列強の植民地下に組み込まれた。
東アジアの激動
イギリスは中国茶の対価としてインド産アヘンを密輸し、これを清が取り締まったことからアヘン戦争が勃発、敗れた清は南京条約で開港と香港割譲を強いられ不平等条約体制に組み込まれた。国内では太平天国の乱など大規模反乱が相次ぎ、清朝は洋務運動によって西洋の技術導入を図ったが、日清戦争での敗北は改革の限界を露呈させた。一方日本は明治維新によって中央集権国家を樹立し、殖産興業と富国強兵を掲げて急速な近代化を成し遂げ、東アジアの国際秩序を大きく塗り替えた。
近現代の世界
19世紀後半 〜 現在産業革命と市民革命によって近代国民国家と資本主義を生み出したヨーロッパは、19世紀後半には帝国主義としてアジア・アフリカへの進出を強め、二度の世界大戦という破局を経験した。戦後は冷戦構造のもとで第三世界の独立が進み、冷戦終結後の現代世界はグローバル化と地域紛争が併存する時代を迎えている。
帝国主義とアジアの民族運動
1870年代 〜 1910年代独占資本主義段階に入った列強は世界分割を競って対立を深め、その圧迫に対抗してアジア各地で改革と民族運動が広がった。
帝国主義と列強の展開
19世紀後半、重化学工業を中心とする第2次産業革命が進展し、銀行資本と産業資本が結合した独占資本主義(金融資本)が列強経済を支配するようになった。資本の投資先と原料供給地・市場を求める列強は、軍事力を背景にアジア・アフリカへの進出を強め、帝国主義と呼ばれる対外膨張政策を展開した。
世界分割と列強対立
アフリカではベルリン会議を機に列強による分割が加速し、20世紀初頭までにエチオピア・リベリアを除く全土が植民地化された。太平洋やアジアでも勢力圏の設定をめぐる対立が激化し、ヨーロッパでは三国同盟と三国協商という二大陣営が形成されて軍拡競争が進み、バルカン半島は「ヨーロッパの火薬庫」と呼ばれる緊張の焦点となった。
アジア諸国の改革と民族運動
帝国主義の圧迫に対し、中国では変法運動(戊戌の変法)や義和団事件を経て、1911年の辛亥革命により孫文らが清朝を倒し中華民国を樹立した。インドではインド国民会議が民族運動の中心となり、オスマン帝国では青年トルコ革命が、イランでは立憲革命が起こるなど、アジア各地で近代化と民族的自立を求める運動が広がった。
二つの世界大戦
1914年 〜 1945年総力戦となった第一次世界大戦はロシア革命と新国際秩序を生んだが、その矛盾と世界恐慌がファシズムの台頭を招き、人類は第二次世界大戦という空前の惨禍を経験した。
第一次世界大戦とロシア革命
バルカン半島の緊張を背景に、1914年のサライェヴォ事件を機に三国同盟・三国協商両陣営が全面戦争に突入し、総力戦・塹壕戦を特徴とする第一次世界大戦が長期化した。戦争の長期化に苦しむロシアでは1917年に二月革命で帝政が倒れ、続く十月革命でレーニン率いるボリシェヴィキが政権を奪取して世界初の社会主義政権を樹立し、ブレスト=リトフスク条約で単独講和を結んで戦線を離脱した。1918年、同盟国側の降伏により大戦は終結した。
ヴェルサイユ体制下の欧米諸国
パリ講和会議の結果締結されたヴェルサイユ条約はドイツに巨額の賠償と軍備制限を課し、国際協調を掲げる国際連盟が発足したが米国は不参加にとどまった。敗戦国ドイツでは自由主義的なヴァイマル憲法のもとヴァイマル共和国が成立したものの経済的混乱に苦しみ、戦勝国アメリカは大戦景気により空前の繁栄を謳歌する一方で孤立主義的外交を続けた。
アジア・アフリカ地域の民族運動
戦後、中国ではヴェルサイユ条約への反発から五・四運動が起こり反帝国主義・反封建の機運が高まった。インドではガンディーの指導のもと非暴力・不服従運動が展開され、オスマン帝国滅亡後のトルコではムスタファ=ケマルが共和国を樹立して世俗化改革を進め、中東ではイギリス・フランスの委任統治のもとアラブ民族運動やパン=アフリカニズムの動きも高まった。
世界恐慌とファシズム諸国の侵略
1929年のニューヨーク株式市場暴落に端を発する世界恐慌は資本主義諸国を直撃し、アメリカはニューディール政策で、イギリス・フランスはブロック経済でこれに対応した。持たざる国であったドイツ・イタリア・日本ではファシズム・軍国主義勢力が台頭し、ヒトラー率いるナチス=ドイツの独裁体制確立、イタリアのエチオピア侵攻、日本の満州事変・日中戦争など対外侵略が相次ぎ、スペイン内戦は国際的な代理戦争の様相を呈した。
第二次世界大戦
1939年、ドイツのポーランド侵攻を機にイギリス・フランスがドイツに宣戦して第二次世界大戦が勃発した。ドイツは電撃戦で西欧を席巻し独ソ不可侵条約を破って独ソ戦を開始する一方、日本は太平洋戦争を開始してアジア太平洋地域に戦線を広げた。戦争中ナチス=ドイツはユダヤ人に対する組織的大量虐殺(ホロコースト)を行うなど甚大な惨禍をもたらしたが、1943年以降は連合国が反攻に転じ、1945年にドイツが降伏、日本も広島・長崎への原爆投下とソ連参戦を経てポツダム宣言を受諾し、大戦は終結した。
冷戦と第三世界の独立
1945年 〜 1970年代米ソ両陣営の冷戦構造のもとでアジア・アフリカの脱植民地化が進み、第三世界が国際政治の新たな担い手として台頭する一方、石油危機は戦後経済秩序の転換を促した。
戦後世界秩序の形成とアジア諸地域の独立
大戦の惨禍を踏まえて国際連合が発足したが、戦後まもなく資本主義陣営(アメリカ)と社会主義陣営(ソ連)の対立(冷戦)が表面化し、トルーマン=ドクトリンやマーシャル=プランを機にヨーロッパはドイツ分断を含め東西に分裂した。アジアでは中国で国共内戦を経て毛沢東の中華人民共和国が成立し、朝鮮半島は南北に分断されて朝鮮戦争が勃発、インド・パキスタンの分離独立やインドネシア・インドシナ諸国の独立戦争など、各地で脱植民地化が進んだ。
米ソ冷戦の激化と西欧・日本の経済復興
アメリカを中心とするNATO(北大西洋条約機構)とソ連を中心とするワルシャワ条約機構が対峙し、核兵器開発競争を伴う冷戦は1962年のキューバ危機で核戦争の瀬戸際にまで達した。西ヨーロッパではECSC(ヨーロッパ石炭鉄鋼共同体)からEEC(ヨーロッパ経済共同体)へと統合が進んで経済復興を遂げ、日本も朝鮮戦争特需を契機に高度経済成長への道を歩み始めた。
第三世界の台頭と米ソの歩み寄り
1955年のバンドン会議を機に、米ソいずれの陣営にも属さないアジア・アフリカ諸国が第三世界として国際的発言力を強め、1960年の「アフリカの年」に象徴されるアフリカ諸国の独立が相次いだ。一方でベトナム戦争の泥沼化はアメリカの威信を傷つけ、中ソ対立の表面化は社会主義陣営の一枚岩ではない実態を示したが、こうした情勢を背景に米ソは緊張緩和(デタント)へと歩み寄り、戦略兵器制限交渉(SALT)などの軍縮対話が進められた。
石油危機と世界経済の再編
1971年のドル=ショックによる金・ドル交換停止でブレトン=ウッズ体制は崩壊し、1973年の第4次中東戦争を機とする第1次石油危機は先進国経済にスタグフレーションをもたらした。1979年のイラン革命に伴う第2次石油危機も重なり、資源ナショナリズムの高まりとともに世界経済の枠組みは大きく再編され、アジアNIES(新興工業経済地域)など新たな成長地域も台頭した。
現在の世界
1980年代 〜 現在社会主義圏の崩壊と冷戦終結はグローバル化を加速させて新興国の台頭を促した一方、抑制を失った民族・宗教対立は各地で地域紛争として噴出し続けている。
社会主義世界の変容とグローバリゼーションの進展
1985年に登場したソ連のゴルバチョフはペレストロイカ(改革)とグラスノスチ(情報公開)を推進して社会主義体制の立て直しを図ったが、東欧諸国では相次いで共産党一党体制が崩壊し、1989年のベルリンの壁崩壊を経て1991年にソ連そのものが解体した。中国では鄧小平が改革開放政策のもと市場経済を導入して高成長を実現するなど、社会主義圏は大きく変容し、冷戦終結とともに市場経済とグローバル化が世界規模で加速した。
途上国の発展と独裁政権の動揺
韓国・台湾・シンガポールなどNIESに続き、中国やインド、ブラジルなどの新興国(BRICSなど)が急速な経済成長を遂げて国際社会での存在感を高めた。一方でラテンアメリカでは軍事独裁政権から民政への移管が進み、2010年代初頭には中東・北アフリカで「アラブの春」と呼ばれる民主化要求運動が広がったが、多くの国で民主化は容易に定着せず政情不安が続いた。
地域紛争の激化
冷戦の終結は東西対立による抑制を失わせ、旧ユーゴスラヴィアの解体に伴う民族紛争やルワンダの内戦、中東における対立の再燃など、民族・宗教対立に根ざした地域紛争が各地で顕在化した。2001年の同時多発テロ事件を機にアメリカは「対テロ戦争」を掲げてアフガニスタン・イラクへ介入し、その後も中東情勢の不安定化やテロの拡散など、現代世界は新たな緊張と課題に直面し続けている。





























